語り部通信

周作クラブ会報 「からだ」番記者レポートK

遠藤さんの宿題、二十年目の報告

 

1996年9月29日、訃報に接した私は、言葉を失った。翌30日はドイツへの海外出張であった。葬儀ミサの10月2日は、遥かフランクフルトの地から安らかな帰天を念じた。 そのとき、遠藤さんからいただいた宿題がふたつ、心に浮かんだ。

ひとつは、1982年4月に始まった「心あたたかな病院」運動である。
 当時、『わたしの健康』編集部にいた私は遠藤さんと「心あたたかな病院を推薦してください」というキャンペーンを立ち上げた。これは毎月の誌上で、読者から推薦された「心あたたかな病院」の名前、 医師や看護婦さんから受けた、心あたたまるエピソードを紹介するという企画だったが、ある日の編集会議で「読者を装う病院関係者から、推薦(自薦)があったらどうするか」という意見が出された。 その懸念をお伝えすると、遠藤さんはニヤリと笑って、次のように言われた。
 「大いに結構じゃないか。最初は水増しの自薦でも、やがて心あたたかな病院になればよい。あたたかな太陽の光が、旅人のマントを脱がせるように……」

この5月(2016年)で、結成三十四周年を迎えた遠藤ボランティアグループは、現在も九つの医療・介護施設での「心あたたかな病院」運動をつづけている。

もうひとつの宿題は、月曜の会(日本キリスト教芸術センターの勉強会)のテーマ選びで、遠藤さんが常に意識した「日本というメタファー(暗喩)」である。
 昨秋、築地本願寺(東京ビハーラ)から「遠藤周作さんにまつわるお話を聞きたい」と依頼があり、『遠藤周作の病いと神さま――「心あたたかな医療」の源流をさぐる』という演題で話した。
 そのとき、遠藤さんが「西洋から伝えられた基督教はだぶだぶの洋服のようだ。もっと日本人の身丈に合う基督教に仕立て直す必要がある」と書いた日本の基督教という言葉から、 やはり西洋からもたらされた日本の現代医療、インド・中国から伝えられた日本仏教の、だぶだぶ・窮屈感を思い浮かべた。

この3月、武蔵野大学仏教文化研究所の紀要に『和語(ひらがな)が啓く「ほとけ」の世界』を発表した。ひらがなで「日本というメタファー」をさぐる試み、七十歳の青春を楽しむ。