連載 語り部 その2
「心あたたかな病院」キャンペーンの原点は、若いころ、長く苦しい入院生活を過ごした遠藤周作さん自身の闘病体験にあります。
あるとき、病状も徐々に回復してきた遠藤さんは、週に一度の入浴を許可されました。そのとき、担当医師は、「遠藤さん、もうあなたは週に一度、お風呂に入れるようになりましたよ」と告げたのだそうです。遠藤さんは言外に“これまでは病状が重くて、お風呂にも入れなかったのが、きょうからは週に一度入れるまでに病気がよくなった!”という明るさを感じて、心が明るくなりました。
これが反対に、「遠藤さん、まだあなたは週に一度しか、お風呂に入ってはいけません」と言われたら、“一応は週に一度だけ入浴を許可するが、今後の病状しだいでは許可を取り消すこともあり得る…”というニュアンスが伝わって、ただでさえ不安な心は凍りついたにちがいありません。
遠藤さんはそれを「言葉の魔術」と呼んでいます。「言葉も薬だ」とも言っています。
同じことを相手に伝えるにも、明るい積極的な面でとらえるのか、暗い否定的な面をとらえるのか、それを伝える言葉の選び方、伝える人の思いのぬくもりにかかっています。だからこそ、「病院の医師も看護婦も、言葉の魔術師であってほしい」と、遠藤さんは強く願っていたのです。
いまから28年前、昭和61(1986)年の秋、それまで官僚的な語句ばかりで冷たい印象を与えていた東京大学附属病院の入院案内が大きく変わりました。この年の春、院長に就任した森岡恭彦さんは、歴代初めて昭和天皇の手術を担当した外科医でもありますが、院長就任後、院内に「患者サービス改善推進委員会」を発足させました。
ちょうどそのころ、VLT(極超低温)美容で有名な美容家・加嶋幸成さんに紹介された神山五郎さん(※1)、小島通代さん(※2)が文中の言葉遣いに頭を痛めていた、そのタイミングでの出会いでした。
※1:元大阪教育大学言語障害児教育教員養成課程教授、当時は烏山診療所所長
※2:東大病院看護部長、のちに東京大学医学部教授、九州国際看護大学学長などを歴任。
「患者サービス改善推進委員会」 入院案内の改定メンバーでもある。
「心あたたかな医療」の熱心な共鳴者である小島さんが
「遠藤先生の入院体験をうかがって、それを入院案内に生かしたい!」
これこそ、「心あたたかな病院」キャンペーンです。早速、遠藤さんに取り次ぐと、もちろん快諾が得られ、何回か小島さんたちの入院案内の改定作業に関わることになりました。
遠藤さんによる患者目線のアドバイスは、次のようなものでした。
実際にはどうなったか、パンフレット(入院案内)の改訂前 ⇒ 改訂後を比較してみましょう。
まず、パンフレットの目次が、次のように変わりました。
アドバイスで指摘された「特別食」は、次のような説明になりました。
また、遠藤さんは自らの入院体験から、「入院患者は消灯後から明け方まで、くらやみの時間が孤独である。そして、その孤独を救ってくれるのは、夜勤の看護婦さんだ」と強調しました。
そして、消灯時間の項目も変わりました。
さらに、これまでにはなかった項目も新設されました。
もうひとつ、大学(医学部)附属病院の目的は、患者の治療機関であることに加えて、医学部の学生や看護婦、の教育機関でもあるという説明も加わりました。
天下の東大病院、その「入院案内」のことばの殻をかみ砕いて、やさしいぬくもりに変えたのは、「言葉は薬だ」が口癖の遠藤流「言葉の魔術」、心あたたかな遠藤マジックだったのです。
【※現在の入院案内パンフレットでは、「看護婦→看護師」、「三交代→二交代」など、一部変更があります 】