語り部通信

周作クラブ会報 「からだ」番記者レポートI

日本の知性、論壇風発、月曜の会。

 

昭和58(1981)年、クリスチャンの作家や音楽家の友人とともに、日本キリスト教芸術センター(遠山一行会長)を設立した遠藤周作さんは、翌年3月から、「月曜の会」(ゲストを招いての勉強会)をスタートさせた。
はじめは東京・原宿のマンションの一室で、のちには東京・駿河台の主婦の友ビルの一角に、集会室兼事務所を移した。奥の書棚には、遠藤さんの蔵書の一部が配架されていた。
また、同センターの活動の一環という名目で、遠藤ボランティアグループの講座、月例ミーティングの会場として、一回500円で利用していた。

当時、健康雑誌の連載対談『治った人、治した人』で、遠藤周作「からだ」番記者になった私は、原則月二回開催の「月曜の会」に出席していた。
毎回のゲスト講師が、すごい。
たとえば、キリスト教(三浦朱門、矢代静一、森禮子、曽野綾子、加賀乙彦、阪田寛夫、木崎さと子)、仏教(中村元、玉城康四郎、ひろさちや、紀野一義)、心理学(河合隼雄、林道義、湯浅泰雄)、科学・医学(小柴昌俊、村上陽一郎、末桝恵一、多田富雄、岡田節人、河合雅雄)、死生学・哲学(井上洋治、A・デーケン、カール・ベッカー、八木誠一、山折哲雄)、音楽(遠山一行、遠山慶子、東敦子)などだが、女優の吉永小百合や、歌舞伎の中村勘九郎(五代目=当時)のスピーチもあった。

遠藤さんの講話は、初年度、10回「キリシタンからかくれキリシタンまで」(1982年6月)のみで、日本を代表する作家や学者の講演依頼に奔走し、自らは聴き役に徹した。
講話が終わると、全員でテーブルを囲み、ビールのコップとサンドイッチを片手に論壇風発のひととき。まっさきに質問の矢を放つのは、もちろん遠藤さんである。
2002年、ノーベル物理学賞を受賞することになる小柴昌俊さんは、135回「宇宙の話」(90年)、216回「もうひとつの私の夢」(95年)で、ニュートリノ天文学の概要やカミオカンデ(神岡鉱山地下の観測装置)のエピソードを披露した。会場の最前列には、大きくうなずく遠藤さんの姿があった。

2002年3月、遠藤さんの帰天から6年後、320回をもって、日本の知性を集めた「月曜の会」は20年の幕を閉じた。