語り部通信

周作クラブ会報 「からだ」番記者レポートJ

「心あたたかな病院」キャンペーン

 

私が副編集長を務めていた『わたしの健康』の1983年新年号から、『心あたたかな病院を求む』キャンペーンを開始した。その前年、讀賣新聞に寄稿したコラムを読んだ読者から、「心あたたかな病院で治療を受けた」という手紙が、遠藤さんのもとに届いた。
 とくに推薦の手紙が多かった、淀川キリスト教病院(白方誠彌院長)、東京衛生病院(林高春院長)から院長をお招きして、ホスト役の遠藤さんもまじえて、新春座談会が行われた。
 まず、三年間の入院生活を経験した遠藤さんが、医療現場は「治療するのだから、多少の苦痛や不便さはがまんすべきだ」という〈病院の日常〉に慣れきっていて、家庭や会社など〈患者の日常〉にはない恥ずかしさ、病気や死への不安な思いを、うっかり見すごしていないだろうかと、問いかけた。

あるとき、お世話になった看護婦さん三人をお礼に招待して、レストランに向かう途中、車がネコを轢いたのを見た一人が、「キャーッ」と悲鳴を上げて顔をおおった。遠藤さんが、「あなたは手術場の看護婦さんで、血を見ても平気なはずでしょう」と聞くと、「手術場は病院で、ここは病院じゃないんですもの」と答えたという。
 つまり、日常的な神経と病院の中での神経とでは、そのときの立ち位置、役割によって感覚が異なるわけだが、〈病院の日常〉では気づかぬうちに、患者に無用の苦痛や屈辱を与えていることも、案外多いのではないか、というのである。

「入院患者の苦しみというのは、結局、孤独感です。とくに慢性病や末期の患者さんは、夜が苦しい。五時の夕食のあとは、検査もない、見舞い客もいない。じっとしているだけ。そのとき、ぐちを聞いてくれるだけのボランティアというのはできないでしょうか」
 この当時、1962年から病院ボランティアが始まった淀川キリスト教病院でも、またチャプレン(病院付き聖職者)がいる東京衛生病院でも、病院での傾聴ボランティアの養成、受け入れの検討を始めたところであった。
 たとえば、病室での身の回りのお世話、車椅子でのお散歩を介助しながら、患者の話を聞く、それが〈傾聴〉ではないか、遠藤さんはそう考えていた。

遠藤さんの願いは、どこまでも深く、あたたかい。