語り部通信

周作クラブ会報 「からだ」番記者レポートB

ピアニッシモな音色

 

昨年(2013年)、遠藤ボランティアグループは、活動三十周年を記念して、民俗学研究者の六車由実さんを講師にお迎えして、「人生のターミナルケアとしての聞き書き――介護民俗学の実践から」と題する講演会とシンポジウムを開催した。

六車さんは介護施設で働きながら、高齢の利用者への「聞き書き」を実践している。介護現場での聞き書きには、重要な3つのポイント、@事実を聞く、A「教えを乞う」立場で聞く、B記憶を継承する、がある。この「聞き書き」は究極の「傾聴」であり、とくに「教えを乞う(立場)」には、傾聴の対象者へのレスペクト(尊敬、敬意を表す)と、「事実を聞く(聞き手に徹する)」という気持ちが込められている。

32年前、讀賣新聞紙上で、「病人の愚痴や嘆きを、じっと『聞いてあげる』ボランティアになってくださる人はいませんか」と呼びかけた遠藤さんは、無類の「さびしがりや」であり、また「きずつきやすい」人でもある。
長い入院生活を経験した遠藤さんは、病室清掃の女性スタッフに愚痴をこぼすと、「あなたも大変ね、その気持ちよくわかるわ」のように言われた。すると、不安で孤独な「こわれやすい」心が少しだけ癒された気がしたという。

『フラジャイル 弱さからの出発』(松岡正剛著、ちくま学芸文庫、2005年)で、松岡は「フラジャイル」について【「もろさ」とか「こわれやすさ」とか、あるいは「きずつきやすさ」という意味をもつが、そこには、たんに脆いとか壊れやすいというだけではすまないただならぬ何者かがひそんでいる】として、また【「弱さ」は「強さ」の欠如ではない。「弱さ」それ自体の特徴をもった劇的でピアニッシモな現象なのである】と、書いている。

たしかに「心あたたかな医療」キャンペーンには、医療制度の改革を叫ぶ「強さ」はないかもしれない。しかし、遠藤さんの「庭の花を病床に飾りましょう」、「病院まで私の車にお送りします」という発想は、花粉症患者は? 車の事故が心配!など、さまざまなハードルを超越した、無類の「やさしさ」に満ち溢れている。

天国に旅立たれて17年、ピアニッシモな音色は今も衰えることがない。