語り部通信

周作クラブ会報 「からだ」番記者レポートG

君もいっしょに来てくれんか

 

 

昭和60(1985)年のある日、折り入って相談したいことがあるという電話が入った。 「実は、笹川(良一)が表彰すると言うてきた。賞金も出るそうや。ボートレース(競艇)の会長からカネをもらうというのは……、どんなものか」
何でも、笹川良一氏が会長を務める日本船舶振興会の関連団体、日本顕彰会の事務局から、遠藤さんが提唱した「心あたたかな医療」キャンペーンに対して、特別社会貢献者表彰をしたいという連絡があったのだという。
これはあとでわかったことだが、遠藤さんの他に、歌手の村田英夫、女優の山田五十鈴、発明家の中松義郎、エイミー・カーター(ジミー・カーター米大統領の娘)なども、特別社会貢献者(個人)表彰のメンバーだった。

「遠藤先生の〈心あたたかな医療〉キャンペーンは、営利目的ではないのですから、その賞金をいかにきれいに使うか、その一点さえ踏まえればまったく問題ない、と私は思います」
 電話口から「ナルホド!」という、安堵の口吻が伝わってきた。
「ところで、もうひとつ相談がある。その表彰式に君もいっしょに来てくれんか。忙しいだろうが、頼む」
11月20日(水)、遠藤さんの付き人として、東京・港区にある笹川記念会館までごいっしょすることになった。

表彰式は、常陸宮殿下・同妃殿下のご臨席を仰ぐという、少々堅苦しい雰囲気のなかで執り行われた。当時、笹川会長は86歳(1995年、96歳で没)だったが、声も若々しく、とても上機嫌の様子だった。
われらが(62歳の)遠藤さんは、式典の華々しさに少なからず困惑し、壇上で表彰状と金一封を受けとるときも、硬い表情を崩さなかった。
帰りのハイヤーで、真顔の遠藤さんは、もうひとつ頼みがあるという。
「ここに二十万円(金一封)がある。その半分、十万円は遠藤ボランティアの活動資金として使ってほしい。残りの十万円は、『遠藤周作のあたたかな医療を考える』(讀賣新聞社、1986年)で世話になった担当編集者のM君に直接渡してくれないか」

「心あたたかな医療」の守護天使、パウロ・遠藤周作のことばである。