語り部通信

連載コラム『病院はチャペルである』――遠藤周作の祈り――

第1回 難病と闘う子どもと、その家族のための滞在施設

 

遠藤さんは『中央公論』1982年7月号で、ご自身の長く苦しい闘病・入院体験から「患者の家族の宿泊所や休息所がほしい」という提言をしています。

原則として日本の大病院は米国から戦後に直輸入された完全看護制を実施しているため、患者の家族が泊れる宿舎や部屋などはない。家族が患者の看護のために宿泊できるのはたいてい看護婦さんの好意や黙認によってだと言ってよい。 しかし家族関係のつよい日本人患者には「家族にみとられたい」という願望が、欧米人よりはるかに強い。完全看護という原則は必ずしも日本人にはむいていない。(中略)
かいこ棚式のベッド、キャンパスベッドさえあれば、それでさえもいいと私は思っている。こういう一寸した設備があるだけでも看護の合間に待合室の長椅子にわずかな休息をとる家族はよほど体が休まるだろう。

(『日本の「良医」に訴える』133〜134ページ)

これは、患者に付き添う家族の宿泊所については、遠藤さんが雑誌などで病院長と対談する機会をとらえて、とくに強調した要望のひとつです。当時は、患者のベッドの脇(病室の床)に、家族が直接せんべい布団を敷いて寝る光景も珍しくない時代でした。
本来なら入院規則の違反行為なのですが、ときに心やさしい医師や看護師による黙認というかたちで許されることもあったのです。遠藤順子さんは、『夫・遠藤周作を語る』(文春文庫、2000年)の中で、夫の病室に泊まり込んで看病に当たった体験を紹介しています。

三回目の手術を迎えることになって、その時分、慶應病院は付き添いが泊まってはいけないことになっていましたけれど、主人は「泊まってくれ」と申します。今みたいにベッドがありはしないから、病室のわきに付いている畳の小部屋に枕だけ持ってきて、オーバーコートを被って寝ていたんです。

(「母からのバトンタッチ」50ページ)

そして、現在(2016年)の状況をインターネットで調べてみると、病院を受診するために事前宿泊が必要な患者、付き添いが必要な患者の家族のための宿泊所として、「東大ハウス」(東京大学附属病院)、「春日丘ハウス」(大阪大学附属病院)、「ファミリーハウスあおもり」(青森中央病院)、「森の家」(九州大学附属病院)などが見つかりました。
5年前(2011年12月)、東京大学構内に開設された「東大ハウス」の運営母体を検索してみると、公益財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティーズ・ジャパンであることがわかりました。そこで、早速、同財団常務理事兼事務局長の木村恵美子さんにお目にかかり、ドナルド・マクドナルド・ハウスの活動についてお話を伺いました。

ドナルド・マクドナルド・ハウスの歴史は、1974年のアメリカ東部の都市、フィラデルフィアから始まりました。当時、アメリカンフットボールで活躍していたフレッド・ヒル選手の3歳になる愛娘が、白血病にかかって入院することになったのです。彼がそこで目にしたのは、狭い病室で子どものベッドの傍らで折り重なるようにして寝ている母親や、病院の自動販売機で簡単な食事をすませている家族たちの姿でした。
彼もまた入院先の病院が自宅から遠く離れていたために、精神的にも経済的にも苦痛を感じていました。そこで彼は、病院の近くにあったマクドナルドの店舗オーナーや病院の医師たち、そしてフットボールチームの仲間たちに呼びかけて、病院の近くに家族が少しでも安らげる滞在施設を作るための募金活動を始めました。
そして、1974年、フィラデルフィア新聞社が提供した家屋を改造して、世界初のドナルド・マクドナルド・ハウスが誕生したのです。その後、世界各地に広がったドナルド・マクドナルド・ハウスは、2016年5月現在、42の国と地域に合計358カ所になりました。

2001年12月、日本初の「難病児及びその家族等のための滞在施設」として、東京・世田谷の国立成育医学研究センターに隣接する「せたがやハウス」がオープンしました。
そのきっかけは、1996年の夏、国立大蔵病院院長に就任したばかりの開原成允さんと、スタンフォード大学の社会学者である西村由美子さんの出会いから始まりました。当時、大蔵病院では、国立小児病院と一緒に「国立成育医療センター」という子どもと母親のための病院を創設(国立成育医学研究センター)するプロジェクトが動き出していました。
「アメリカの小児病院には必ず『ドナルド・マクドナルド・ハウス』があるのに、日本にはなぜないのでしょう?」という西村さんの問いに、ドナルド・マクドナルド・ハウスが実現できたら、日本の医療環境を変えることができるかもしれないと考えた開原さんは、「ぜひやってみましょう」と答えました。そして、同年12月、西村さんとともに開原さんは当時の日本マクドナルド株式会社・藤田田社長に面会し、日本にもドナルド・マクドナルド・ハウスが必要だと支援を要請したのです。
すると、翌1997年2月、藤田社長から承諾の手紙が届き、のちの国立成育医療センターの近くにドナルド・マクドナルド・ハウスを作ることが決まり、2001年12月、「せたがやハウス」がオープンしたのだそうです。

開原さんとは、個人的に不思議なご縁があります。といっても、これはあくまでも当時『わたしの健康』編集者だった私(原山)の感想になりますが、1986年春、東京大学附属病院院長・森岡恭彦さんが発足させた「患者サービス改善推進委員会」の委員長を、当時、東大教授だった開原さんが務めていたのです。その成果の一つに、東京大学附属病院の官僚的で堅い入院案内の説明文を、入院患者に親切でわかりやすい文言に変えようと、遠藤周作さんが具体的な助言をして、それをとりいれた「心あたたかな」入院案内のパンフレットがあります。
これもまた、「心あたたかな医療」キャンペーンの一環で、開原さんもまた同じ志をもつ「良医」のお一人でした。残念なことに、開原さんは2011年1月に急逝され、直接お話を伺うことは叶いませんでしたが、「東大病院の入院案内が変わった」ことから、とくに全国の大学病院の「入院案内」が改訂に着手するなど、大きく変わるきっかけとなりました。

さて、現在、日本のドナルド・マクドナルド・ハウスは、北は「さっぽろハウス」(北海道立子ども総合医療・療育センター)から、南は「ふくおかハウス」(福岡市立こども病院)まで、11カ所の滞在施設が運営されています。そして、2016年12月には、日本で12号目となる「さいたまハウス」(埼玉県立小児医療センター)が開設される予定とのことです。

難病の子どもをもつ家族は、一人1泊1000円+リネン代で泊まれますが、これら滞在施設の電話応対、チェックイン&アウト業務、ハウスキーピングなどの仕事は、全国に現在約2000人登録されている個人や企業のボランティアの活動に支えられています。リビングやダイニングでは、同じ悩みを抱える母親同士が、それぞれの思いを語り合う場にもなっているそうです。
また、マクドナルド店舗のレジ脇には、ドナルド・マクドナルド・ハウス募金箱があり、多くのマクドナルドを訪れる利用者の方々にも、ドナルド・マクドナルド・ハウス支援の輪を広げることに協力してもらっているそうです。

私はこの日の取材の帰り道、マクドナルドのお店でマックシェイクを頼んだあと、〈あした、天気になあれ〉と心の中で念じながら、募金箱に1000円札を一枚投じたことでした。