語り部通信

連載コラム『病院はチャペルである』――遠藤周作の祈り――

第2回 東大病院の入院案内を変えた遠藤マジック
――言葉は大切な薬――

 

1982(昭和57)年6月、『日本の「良医」に訴える ――私がもらった二百通の手紙から』というエッセイを、遠藤周作さんは『中央公論』7月号に寄稿しました。そこには、「心あたたかな病院がほしい」と切実に願っていた、遠藤さんの祈りが込められています。 原稿の冒頭で、病院の医師にぜひお願いしたいことは、患者がいま抱えている病気だけでなく、さまざまな人生を背負った病人であることを理解してほしい、と訴えています。

★医師は診察の折、患者の病気の背景にはその人生を考えてほしい

むかしの医師とちがって今の大病院では医師は次第に病人ではなく、患者の病気にしか関心がなくなっている。これからはコンピューター診察のような形で医師・対・患者の関係は正確さを狙うあまり、ますます機械的な非人間的なものになっていくかもしれぬ。一人の患者がおずおずと医師の前に腰かけ、病状を訴える時、彼は医師にたいしある病気の持主としてだけではなく、仕事や家族をかかえた一人の人間として向いあっているのだ。そして彼の病気もこうした彼の人生と決して無関係どころか、切っても切れぬ関連を持っている。言いかえれば患者は病気と共にその病気が彼に与えた心の悩み、苦しみ、不安、孤独感、自分が病床につかねばならなくなった時の家族への配慮、仕事の断絶――そういった全部を背おって医師と向きあっているのである。

(『中央公論』7月号、129ページ)

今回、1986(昭和61)年、東京大学附属病院内に「患者サービス改善推進委員会」を発足させ、同病院の「入院案内」の文言を大きく変えた当時の病院長で、現在は日本赤十字医療センター名誉院長の森岡恭彦さんに、三十年ぶりのインタビューが実現しました。
実は、「患者サービス改善推進委員会」のメンバーの一人で、当時は看護部長だった小島通代さんから、遠藤さんに文言改定のアドバイスをお願いしたいと、遠藤番記者である私に依頼があり、遠藤さんに電話でその旨をお伝えすると、「天下の東大病院が変われば、心あたたかな医療が少しでも前に進む」とおっしゃって、その場で快諾されたのです。 三十年前、『わたしの健康』11月号取材の折、森岡さんは次のように語っておられました。

まず、できることから変えようと思いまして、入院案内のパンフレットを改定することにしました。どうも東大病院というといかめしいイメージが強いようですが、もっと患者さんのことを考えた医療の立場をはっきりさせたい。最終的には医者にせよ、看護婦にせよ、患者さん個人への対応、つまりは人間の問題になってくるのですが、入院案内の改定をそのスタートとしたいのです。

『わたしの健康』11月号、197ページ)

この入院案内改定で発揮された、遠藤さんの「言葉の魔術」について、拙著『からだのメッセージを聴く』(日本教文社、1993年⇒集英社文庫、2001年)に収載した項目(改定後=字句の微調整は残されていたが、改定作業大詰めの1986年9月10日時点のもの)に、現在の入院案内(2016年のホームページ)の内容を加味して紹介します。 遠藤さんが、改訂のポイントとして挙げたのは次のようなものでした。青字部分は、『わたしの健康』11月号取材時に、遠藤さんから直接うかがったアドバイスの要約です。

@ 上意下達の命令口調を避けて、語りかける口調にする。

「面会は、必ず看護婦の許可を得てからにしてください。面会の方は病室内での飲食はできません」の命令口調では、患者を囚人と同じような心理に追い込む。「許可を得て」ではなく、「ご相談ください」「お申し出ください」のような、語りかけ口調がよい。

※改訂後は「ご面会の方は、看護婦にお申し出ください。ご面会の方の病室での飲食は、ご遠慮ください」となりました。
現在は、総合案内で面会カードの受付を済ませたあと、「ご面会の方は、フロアで看護師にお声掛けください。」となっています。

言葉は丁寧だが、「入院中は医師および看護婦の指示に従ってください。外出、外泊は医師の許可が必要です。出入りの際は、必ず看護婦にご連絡ください」も命令口調だ。

※改訂後は、「入院中は、ご自身のなさりたいこと、してほしいことを、看護婦や医師にお教えください。ご回復に役立つように生かしてまいります。看護婦や医師からの納得いく指示は、お守りになっておすごしください。外出や外泊をご希望のときは、看護婦や医師にご相談ください」となりました。
現在は、「外出や外泊をご希望のときは、看護師や医師にご相談ください」と、コンパクトな説明になっています。

A むずかしい漢字を減らし、やさしいひらがなを多く用いる。

「入院時は、きまり次第電話等にてご連絡します」など、漢字(漢語)が多いと患者に威圧観を与える。堅苦しい文語調より、ひらがなの多い、語りかけ口調がよい。

※目次の改訂前→改訂後(1986年)⇒現在(2016年)は、以下のようになりました。

改訂前 改訂後(1986年) 現在(2016年)
@入院手続きについて 入院のために行うことは 入院のためにお願いしたいこと・入院のために行っていただくこと
A入院時の携行品について 入院されるときの持ち物は 入院されるときの持ち物
B給食について お食事は お食事
C面会について ご面会は ご面会
D入院中の心得 入院中のすごしかたは 入院中のすごしかた
E入院料金の支払いについて 会計は 会計

※参考までに、いくつかの大学病院のホームページ(2016年入院案内)から、それぞれの病院が患者に語りかける役割の「目次」タイトルを見てみましょう。

九州大学附属病院の入院案内 @入院について/A入院に必要なもの/B食事について/Cご面会について/D入院中の過ごし方/E入院費のお支払いについて
京都大学附属病院の入院案内 @入院の流れ/A入院に必要なもの/Bお食事/C面会(お見舞い)について/D入院中の過ごし方は/E診療費等のお支払いについて
慶応義塾大学病院の入院案内 @入院の準備/A入院時にお持ちいただくもの/Bお食事/C面会について/D入院中の決まりごと/E入院の費用について
北海道大学附属病院の入院案内 @入院の予約・入院の決定・入院当日の手続き/A入院時の持ち物/Bお食事/C面会時間/D入院中の過ごし方、決まりなど/E入院費のお支払い

森岡さんは今回の取材で、「入院案内の改定は大変好評で、なかには、この内容をそのまま使う病院も出てくるほどでした」と語っておられましたが、遠藤さんの「天下の東大病院が変われば……」という当初の願いは、上記のような「やさしい言葉」に結実しています。

B 禁止口調をできるだけ避けて、やわらかい表現を心がける。

「患者の寝具は病院の物を使用することになっておりますので、個人の物は持ち込まないでください」などの禁止表現は、ただでさえ緊張している患者の不安を増幅する。「寝具は病院で用意します」でよい。

※改訂後は「布団やねまきは、病院でご用意します」でしたが、現在は、さらに「寝衣(パジャマ等)・タオル類(フェイスタオル、バスタオル)は、患者さんがご持参いただくか、〈入院セッ卜〉レンタル制度をご利用いただくこともできます」と、患者による持参とレンタルの選択制(洗濯の手間が省ける)に変更されています。

C 冷たい感じの官庁用語を避けて、日常用語を積極的に用いる。

「食事は、普通食、軟食、流動食、特別食に分かれており、医師の指示によって給食されます。自炊はできません」では、いかにも官僚的である。給食は「食事が用意されます」でよい。「特別食」はわかりにくい。もっと具体的な説明があったほうがよい。

※改訂後は(現在も)、「お食事は、すべて病院で用意いたします。症状によっては特別なお食事(流動食、糖尿病食、肝臓病食、腎臓病食、幼児食など)が用意されますので、食べものや飲みものを自宅からお持ちにならないでください」となっています。

D 入院患者の「孤独」や「不安」をやわらげる表現を工夫してほしい。

「病室の消灯は午後九時です」の一文は、もちろんその通りだが、患者が「孤独」と「不安」の闇に包まれる夜の時間は、夜勤の看護婦さんの存在だけが心の支えになる。

生死をかけた三度の大手術と長い入院体験を通して、遠藤さんは常々「入院患者は消灯後の時間が孤独である。そして、その孤独感を救ってくれるのは、看護婦さんだ」と述べていましたが、改定前の「病室の消灯は午後九時です」という表現から、改定後は「どなたも睡眠を充分おとりになれるよう、消灯時間を二十一時に定めております。消灯の後ご用のときは、ナースコールをお使いください。看護婦はお返事しませんが、静かにベッドサイドに伺います」となり、現在は「どなたも睡眠を十分におとりになれるよう、消灯時間を21時に定めております。消灯後ご用のときは、ナースコールをお使いください。看護師がベッドサイドに伺います」となっています。改定後にあった「看護婦はお返事しませんが」のひと言は、患者の心に届く響きがあったと私は思います。

また、改定後の入院案内には、従来はなかった項目が新たに加わりました。 その一つは、「心あたたかな医療」のきっかけになった終末期患者の採血検査(遠藤家で家事手伝をしていた若い女性が、骨髄ガンで余命数カ月と診断されたにもかかわらず、血液検査は死の直前まで行われていた。遠藤さんは「止めてほしい」と申し出たが、「ここは大学病院ですから」と断られたことから、現代の医療に疑問を抱くようになった)について、医学部附属病院としてのお願いの項目が加わりました。
「大学附属病院では、医学および看護の学生・生徒の教育実習がおこなわれておりますので、ご協力いただくことがございます。実習は必ず指導医師・指導看護婦の監督下におこなわれます。よろしくお願いいたします」の一文は、とくに終末期の採血にはふれていませんが、大学病院の「教育・研究」という役割に理解を求めています。

※現在(東大病院のホームページ)の入院案内には、上記の一文はありませんが、現在の「入院のためにお願いしたいこと」にある「患者さんの権利」には、「ご自身の意思で医療を選択することができます」とあって、自分が受けている治療(検査も含む)の説明を求め、その治療を選択するかどうか、患者自身の意思表示が可能です。

※ちなみに、九州大学病院の「患者さんの責務と病院からのお願い」6項目には、「本院は教育・研究病院です。医療専門職の教育や、新しい診断・治療方法を開発するための研究へのご協力をお願いします」という一文が明記されています。

もう一つは、いわゆる「インフォームド・コンセント」(説明と同意)の追加です。 改定後の新設項目「ご自分の病気のことについて、よく説明を受けましょう」に、「医師や看護婦は診療についてのあなたのご要望をすすんでお聞きします。またご自分の病気のことについても充分の説明をうけてください」という一文が加わりました。
現在は「医師や看護師から、ご自分の病気や検査・治療について充分な説明を受けてください。病気についてのプライバシーを守るため、患者さんご自身以外に病気の説明を受ける方を、ご家族など信頼できる人の中からあらかじめ選んでおいてください」となっています。
さらに、東大病院のホームページの「患者さんの権利と責務」には、●ご自身の情報を得ることができます/●質問や意見を述べることができます/●ご自身の意思で医療を選択することができます、という一文があり、上記の説明をもっと具体的に示しています。

※現在では、九州大学病院の「患者さんの権利」3〜6項目に、B自分の状態や医療行為について十分理解できるまで説明を受ける権利があります、C上記の説明を受けた上で、自由意思に基づき医療行為を選択・決定する権利があります、D診断や治療方針について他に意見を求めたい場合は、セカンドオピニオン制度を利用することができます、E自分の診療に関する記録などの情報を得る権利があります、となっています。同じように、現在どの大学病院のホームページにも「患者(さん)の権利と義務(責務)」が掲げられています。
森岡さんがのちに院長を務められた日赤医療センターのホームページ(「受診される皆さまの権利の尊重」)には、C診察に必要な医療上の情報、説明を受ける権利、D自らの意思に基づき医療行為を選択する権利、が示されています。

今回の取材の中で、森岡さんは1986年当時、「(入院案内に)ここまで書いてよいだろうかと、かなり決心を要しました。いまでは当たり前のことなのですが」と率直に語ってくださいましたが、1980年代から日本における「インフォームド・コンセント」の指導的役割を担われ、現在もなお日本医師会「会員の倫理・資質向上委員会」委員長を務めておられるのが、ほかならぬ森岡さんだったのです。森岡さんは自著『死にゆく人のための医療』(NHK出版協会、2003年)で、「西洋型の個人主義を基にする自由民主主義社会での患者の人権擁護、自己決定権の尊重という考え方から生まれたもので、わが国にはアメリカから輸入されてきたインフォームド・コンセントという考え方」を、日本では「医師と患者との間の信頼関係を築く上で必要な原則」ととらえようとする考え方を示されています。

日本では患者の人権とか権利といったことはひとまず脇に置き、インフォームド・コンセントを医師と患者との間の信頼関係を保つ上でのいわば治療上の良薬ととらえており、これが日本流の考え方だといえます。そしてもし医療が民法上の契約だということになり、医療側が防衛医療に傾いたり、インフォームド・コンセントが医療者側の訴訟逃れの手段として形式化し、医師と患者の関係が冷たいものになるのなら、それはインフォームド・コンセントのマイナス面になりかねないという恐れが強調されているのがわが国の特徴といえます。

(『死にゆく人のための医療』、68ページ)

ユング派の心理学で使われるシンクロニシティ(共時性)という言葉があります。これは集合的無意識(遠藤さんは「グレート・マザー」と呼んでいた)に根ざした「意味のある偶然の一致」、つまりある出来事や考え方が、ほぼ同時に離れたところで起こるのは、あとから考えると何か重要な意味を持っていたことに気づく、というほどの意味です。
「患者の病気だけでなく、病人である患者に関心をもってほしい」と願い、「言葉は病人を癒す薬だ」と訴えた遠藤さんが、「医師と患者との間の信頼関係を保つ上での薬」としての心と心の触れ合い、つまりアメリカの訴訟回避主義とは異なる発想で日本流のインフォームド・コンセントをとり入れようとしていた「良医」である森岡さんと、「東大病院の入院案内の改定」というフィールドで出会った(英語ではエンカウンター:遭遇する)快挙は、遠藤さんが提唱した「心あたたかな医療」運動の、とても大きな一歩となったのです。