語り部通信

『わたしが・棄てた・女』『沈黙』『深い河 ディープ・リバー』まで
      ――遠藤ボランティアグループ誕生の源流をさぐる――

3 三人のボランティア

遠藤周作さん最晩年の作品『深い河 ディープ・リバー』(1993年、講談社)は、全十三章のうち五章が「磯辺の場合」「美津子の場合」「沼田の場合」「木口の場合」「大津の場合」に当てられている。インド仏跡旅行に参加した四人と神学生の大津、合計すると五人の登場人物が抱える迷い、苦しみ、悲しみ、そしてかすかな希望の物語が、作者である遠藤さんの実人生と重なるように描かれている。
 磯辺はガンで亡くなった妻が遺した手紙を頼りに、愛する妻の「生れ変り」を探しに。(成瀬)美津子は、学生時代に誘惑し、そして棄てた大津が神父を目指したフランスの修道院を追い出され、インドに渡ったという消息に引かれて。童話作家の沼田は、かつて結核で入院手術したとき、まるで身代わりのように死んだ九官鳥の面影を求めて野鳥保護区に。木口は、戦時中のビルマで死んだ友の肉を口にしたことに苦しみ、酒の飲みすぎがもとで亡くなった戦友・塚田の法要のために。
 そして汎神論的な考え方ゆえに異端視され、リヨンの修道院を追われるようにインドにきた大津は、ガンジス河で死ぬためにたどりついて行き倒れた人々の死体をヒンズー教の火葬場に運ぶという仕事に就いている。

この作品には、三人のボランティアが登場する。ひとりは、この作品で唯一、ファーストネームで呼ばれる人物、美津子である。
 実は美津子には、インド旅行に参加した磯辺の妻が入院していた病院に、土曜の午後だけ、病院ボランティアとして食事の介助や話し相手をしていたことがあった。磯辺の妻は、美津子に「成瀬さん、生れ変りを信じますか」「人間は一度、死ぬと、またこの世に新しく生れ変るって本当」「わたくし、生れ変って、もう一度、主人に会える気が、しきりにするんです」と語りかけたが、美津子は「わたくしにはわかりません」と呟くだけだった。

4 「神は存在というより、働きです」

大学卒業後、美津子は実業家の御曹司と結婚するが、かつて自分が棄てた男・大津がリヨンの神学校にいることを知り、パリへの新婚旅行の途中で抜け出し、神父を目指す大津に会いに行く。美津子の内なる声【一体、あなたは何を求めているの】に導かれるように。
 リヨンで会った大津は、美津子がきらいな「神」という言葉の代わりはトマトでも玉ねぎでもいいと言って、神学生にあるまじき「異端的」な言葉を口にする。

「神は存在というより、働きです。玉ねぎは愛の働く塊なんです」
「ぼくはヨーロッパの基督教を信じているんじゃありません、僕は……」
「それに、ぼくは玉ねぎを信頼しています。信仰じゃないんです」
「やがて日本に戻ったら……日本人にあう基督教を考えたいんです」
「破門にならないでね、大津さん」と美津子はからかった。「少しは上手にお生きなさいよ」

 【『深い河 ディープ・リバー』三章「美津子の場合」から抜粋 99・101・103ページ】

二人目は、木口の戦友・塚田が吐血して入院中、配膳の病院ボランティアとして、そっと胸で十字を切る馬面の外人青年・ガストンである。ある日、塚田は彼にたずねる。
「ビルマでな、死んだ兵隊の肉ば……食うたんよ。何ば食うもののなか。そげんばせねば生ききらんかった。そこまで餓鬼道に落ちた者ば、あんたの神さんは許してくれるとか」
 ガストンはいつになくきびしい表情をして「ツカダさん、人の肉を食べたのはツカダさんだけではない」と言い、かつてアンデス山中に墜落した飛行機の生存者たちが、最後に息を引きとった酒のみの乗客の肉を最後の食べものにしたという話をするのだった。

「この人たち、生きてアンデスから戻った時、皆、悦びました。死んだ人の家族も悦びました。人の肉を食べたことを怒る者はいませんでした。酒のみの男の妻もこう言いました。あの人ははじめて良いことをした、と。彼の町の人たちはそれまで彼の悪口を言っていましたが、もう何も言いません。彼が天国に行った、と信じています」
 (中略)その慰めが塚田の苦しみを癒したか、どうかは木口にはわからない。しかしベッドの横に跪いたガストンの姿勢は折れ釘のようで、折れ釘は懸命に塚田の心の曲りに自分を重ね合わせ、塚田と共に苦しもうとしていた。
 二日後、塚田は息を引きとった。(中略)木口には安らかなデス・マスクはガストンが塚田の心からすべての苦しみを吸いとったためだ、と思えてならなかった。
 そう言えば、その臨終の時、ガストンはいなかった。どこに消えたのか、看護婦たちも知らなかった。

 【『深い河 ディープ・リバー』五章「木口の場合」 162〜163ページ】
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